2010(平 成22)年、西暦では区切りの良 い年を迎え、大阪に帰った正月、 織田作散歩を続行。この歳(六 十六歳)になってナンデヤネンと いうことなんですが。 実は一昨年、「わが町」ベンゲットの たあやんに出会って、その体をはった生き方に 我が生を振り返り、まだまだ負けたらアカンと 刺激を受けた次第。 かてて加えて、その年末に50年 振り?という小学校の同窓会に出 て、同年齢と思えない大阪人パワ ーに圧倒され、自分では大阪人と 思っていたのが、もはやかけ離 れた存在であることに気づかされ ・・・。 大阪を離れて、埼玉在住三十 有余年。今更「大阪人」を取り 戻そうと思っても詮方無きこと。そ れなら織田作でも追っかけて、その後塵を拝そうかと。 初心者の心許ない歩みで、何を今更の感なきにしもあらずだ が、お聖さんにならって「ほっこりぽくぽくオダサクさんぽ」と 言ったところで。 僕は大阪市都島区の生まれ、内代小、高倉中、旭高校と近 辺の学校に通いました。ハンドルネームは淀 春風(よど は るかぜ)です。 |
||
僕の織田作散歩の基本資料は大谷晃一著「生き愛し書いた-織田作之助伝-」(講談社 昭和48年10月8日第1刷)である。この本を基に織田作の足跡を辿っている。「あとがき」には、「近親、友人ら二百四十一人からとった聞書によって、この伝記を編んだ」とある。学生時代(織田作の戦後期)本人と何度も接触のあった著者が哀惜を込めてその生涯を克明に描いている。(本の帯右側に「あとがき」からの引用がある)当HPの散歩の記述はこの著書を基にしたものであり、断りなき「」中の文章はそのままの引用です. 谷町筋-わが町幼年時代 へ |
カバー内側左に著者、右に内容の紹介文がある。この本が刊行された昭48(1973)年に著者は五十歳ということになる。36年を経た昨年2月に僕はこれを読んだわけだ。織田作没後六十二年目!!嗚呼!遅すぎる。と思いつつ、今からでも遅くないと自らに言い聞かす。 |