上六交差点より見る。右が上六近鉄、左がシェラトン都ホテル。 |
楞厳寺から上町筋に出て、西側歩道を上六方向へ向かう。上六近鉄並びにシェラトン都ホテルが、巨大な壁!?のようにそびえ立っているのが見える。上五交差点手前、エネオスガソリンスタンド隣に西鶴の墓で知られる誓願寺がある。門を入って左手脇に、織田作を認めてくれた武田麟太郎の文学碑がある。こんな所に!と思うほど目立たない。以前にも西鶴の墓を訪ねて来たことがあるが、きづかなかった。 写真右/誓願寺の門前 よく注意しないと通り過ぎてしまう。 写真下/武田麟太郎の文学碑「井原西鶴」より |
誓願寺を出ると 夏祭りを
兼ねて遷宮の儀式もあるとい
ふ生玉の方へひとりでに足が
向いてゐた 季節の到来に勢
ひづいた蓮池の近くの金魚屋
も 大きな水槽を十幾つも並
べて 郡山の金魚銀魚を浮べ
好事家を待つてゐた 水も紅
に染まつて目のさめるやうな
眺めであった
武田麟太郎
「井原西鶴」より
|
上六を通り越して、上町筋を進むと、大阪市天王寺区上汐3丁目、生玉表門の看板のある町筋に出る。織田作の子ども時代の界隈に足を踏み入れたのだ。 |
|
生玉南交差点を右手に見ながら、自動車道を渡ると、大阪市立生魂小学校正門が現れる。「大正9年4月1日、作之助は大阪市立東平野尋常高等小学校へ入学した。」その現在の姿である。 |
生魂小学校校庭。校舎の前にそびえ立っていた心光庵の銀杏は、見あたらない。(2010年1月5日現在) |
正門左手植え込みに「服部良一氏」記念碑がある。門が閉じられているので、デジカメを格子の間から入れて、かなり無理な体勢で撮ったもの。木が邪魔してうまく撮れなかったが、以下のように刻されている。 「ほがらに学ぶ 生魂っ子 大阪市長 関淳一 書」 「服部良一氏 大正十一年三月二十四日 大阪市東平野尋常高等小学校 卒業を記す 生魂小学校創立百三十周年記念行事 委員会 平成十七年十月十九日 」 |
織田作は大正九年四月、大阪市東平野尋常高等小学校に入学。大正十五年三月、東平野第一尋常高等小学校卒業。服部良一より4年後卒業ということになる。 |
生魂小学校HPより 学校沿革 紹介 |